事務所インタビュー 税理士法人久保田会計事務所 久保田博之先生

 上級経営会計専門家プログラム第1期生でもある税理士法人久保田会計事務所 久保田博之先生にインタビューさせて頂きました。その中では本協会の代表理事である岩永先生や理事の澤邉先生との出会いといった点についても伺うことができました。

話し手:久保田博之氏(税理士法人久保田会計事務所)
聞き手:飯塚隼光氏(京都大学)

そもそもの話なのですが,なぜ税理士を目指されたんでしょうか。

 元々実家が下町のブティックを経営していました。経営者としての父の姿を見て,自分もサラリーマン以外の働き方の方が向いているのではないかと感じていました。
 高校に入って進路を決めるのにあたって,父となんとなく話をしたんです。何か資格がある方が安心だという話になり,父も付き合いがあったであろう税理士というのが候補に挙がり,その道に進もうと考えました。

大学入学からすぐ資格勉強を始められたんですか。

 大学に入って1年程はウィンドサーフィンに熱中していました。資格試験の勉強を始めたのは2年目からだったと思います。簿記から習い始めていく形でしたね。その時は公認会計士も視野にはあったのですが,京都に公認会計士になるための講座がなかったのと,その当時の先生に「まず税理士受かっておけばいいやんか」と言われて,税理士資格向けの勉強を始めました。

簿記からとのことですが,資格勉強は苦ではなかったですか。

  嫌いではなかったですね。簿記とかは左右をバランスさせるパズルみたいな感じで面白かったです。

大学3,4年のころはもうずっと勉強するような形だったのでしょうか。

 そうですね。2年間ぐらいは1日10時間以上勉強していたように思いますね。専門学校の仲のいい先生が勉強しに来いって言ってくれて,職員室で勉強させてくれたんです。自分の成績がよくなってくると,自分も勉強したいという仲間が増えていって,最終的に職員室を生徒が占拠してしまってました。結果的には自習室を作らせたことになりましたね(笑)。
 そのおかげか,大学在学中に資格取得できました。

大学卒業後すぐ現在の事務所に就職されたのでしょうか。

 資格取得できたので安心しきっていて,そこからオーストラリアにワーキングホリデーに行きました。言葉も分からない中で帰りのチケットだけを持っていきました。当初は2年間帰ってこないつもりだったのですが,家庭の都合で半年で戻ってくることになりました。
 渡航前に現在の事務所の面接だけは受けていて,戻ってきたら就職すればいいと言って頂いていましたので,帰国1,2か月後に就職しました。

そこから税理士として経験を積まれることになるかと思うのですが,経営会計を取り入れていこうとしたきっかけは何だったのでしょうか。

 元々先代は税務にものすごい強い税理士でした。クライアントの大部分は経営的に安定しているような企業でしたね。
 税理士になって10何年ぐらいですかね。ぽつぽつと自分の人脈で顧客ができ始めたぐらいの時期ですね。先代のやっているような税務に関する交渉力や調整を同じようには引き継げないなと率直に感じたんです。先代にしかできない仕事,つまり先代の人脈や人柄・実績があってはじめてできる仕事を目の前で見せてもらっていたわけです。自分が税金の世界だけで生きていこうとすると無理が出るだろうなと。当時,事務所を継ぐことは決まっていて,12~3人従業員がいたんですかね。それを養うのは難しいなと。
 何か武器を持たないといけない。2代目の武器を持たないといけないと思い始めて,研修等いろんなことを試しました。当時税理士事務所にも企業を良くするためのコンサルティングが求められるようになって,岩永先生のような先駆者や会計事務所向けの商品が出始めた頃のように思います。
 お客さんは大半税務を期待しています。そこに税理士として「経営が~」といって入っていってもなかなかうまくはいきませんでした。資金繰りに困っていないところにいっても「まぁそうだろう」,資金繰りに困っているところにいっても,そもそも自分がそれをどう改善できるのかを知らないのでどうしようもなかったわけです。
 そんな中で,知り合いで飲食店を展開し始めた方がいました。小さい店から始まったんですが,急成長しはじめて,資金繰りに不安を感じられるようになりました。
 それをうけて,今期の業績がこれぐらいだったから,税金はどれぐらいになるというのを表計算ソフトのロータス1-2-3で出してみたんですよ。そうしたら非常に喜ばれて,それ以降もこうしたら喜ばれるんじゃないかという数字を出してみたんです。そうしたら経営者と話す内容が税務だけではなくて,新店舗展開や人材育成に変化していきました。
 ただ,どんどん店が増えて行って,店が増えるごとに表計算の負担も増え,経営者からの要求の水準も高まっていくわけです。例えば全科目予想しようといった形です。そうなるとバクだらけになっていってしまったんです。
 実はこれがMAP経営のソフトウェアを導入するきっかけになったんです。どちらかと言えばこういう表計算の手間をなくせるのであればという事で導入したんです。ここから予実対比みたいな形でやり出したのを覚えています。

経営会計をやり始めた時に,悩みはありませんでしたか。

 経営会計みたいなものを収益にどう結び付けられるのかという点にはかなり悩まされました。その時記憶に残っているのはMAP経営の宿泊型のユーザー会で,岩永先生と同室になったことですね。当時から第一線で活躍されていたので思い切って相談してみたんです。「現状クライアントからは十分な金額を頂いているうえに,追加でお金を取ってMAS監査をやるというのは非常に難しい。でもクライアントをつなぎ留めておくためにも経営に深く入っていきたいのですが,どうしたらいいですか。」と。そうしたら,「通常,会計事務所が十分な報酬を貰えている場合は少ないんです。だから追加でお金を貰えるようにと言っているわけで,もし久保田先生が十分に報酬を貰えていると感じていて,顧客をつなぎとめるのが目的であるとするならば,まずお金のことを考えずにやってみたらいかがですか。」と言って頂いたんです。
 この言葉に背中を押されまして,経営に対して前向きな企業に対してまずやってみようと考えたんです。

先ほどの話にもあったように,クライアントが税務を求めているような場合,難しいのではないかと感じます。どういうクライアントから入っていったのでしょうか。

 どこにアプローチしていけばいいのかと考えた時に,過去どこからの紹介が多いのかを遡って調べてみました。その結果多かったのが銀行からの紹介でした。決算書を作成してほしいとか,融資をしたくても財務状況を見る限り貸せないから計画をたてて欲しいといったものです。なので,銀行とのタッグの組み方をいろいろ模索していきました。
 銀行にも経営者にも譲れないラインといったものはあります。それをくみ取ることで,我銀行と経営者の間にはいって両者を取り持つような役割を担うことを目指して活動を行っていました。
 確か2008年頃だったかと思いますが,京都大学の澤邉先生から臨床会計学会を作りたいという話を伺ったのだと記憶しています。

澤邉先生とはすでにその頃からお知り合いだったのでしょうか。

 澤邉先生との出会いはもう少し前です。2002年ごろから会計事務所の2代目が集まって税理士グループPROTAAGという組織を設立しました。20社近くが集まり,顧問先の後継者を育成するカリキュラムの開発を行っていました。
 そのなかで,経営について講義を担当頂けるような塾頭を探したいという話になりました。そこで,メンバーの1人が知り合いであった澤邉先生の名前が挙がったわけです。そこでお会いさせて頂いたのが出会いだったかと思います。
 2008年頃になって,臨床会計学会をやるというお話を頂き会計事務所として弊社も参加させて頂きました。
 それを行っていく中で,澤邉先生からこうした活動を全国規模に拡大させられるようなネットワークはないんだろうかと相談を受けました。ここで,経営会計に力を入れていて,ネットワーク構築に力を入れている岩永先生を紹介させて頂きました。

なるほど。それが日本経営会計専門家協会のはじまりだったということですね。久保田先生は上級経営会計専門家プログラムの1期生として修了されましたが,それ以降,事務所として力を入れている取り組みはありますか。

 最近「経営会計顧問サービス」というサービスを提供しています。経営判断をする際の最良のパートナーでありたいという想いから,税務をベースとしながら,経営支援,相続・承継といった側面からお客様をサポートすることを目的としています。
 このサービスは弊社の上級経営会計専門家プログラムの修了生を中心として展開しています。

→経営会計専門家の役割についての研究インタビュー(内容については事例として作成させて頂く予定です。)

久保田 博之先生
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